下町労働運動史12 大正時代4

下町ユニオンニュース 2012年3月号より
大正時代の下町労働史 その4  
小畑精武  
山内みなの東京モスリンストライキ  
いよいよストライキが始まりました。
外へのドアを開けたら、機織りの女工さんが立ち並んで通路は一杯。「地震でもあるんじゃないか」との声も。やっと第二ドアのところに来たら、男工と守衛がもみ合い、草履で頭の殴り合いをしていました。守衛は押しまくられ、外に放り出されてしまいました。
「これは何かあったのですか」
女工たちは男工の指示通りに寄宿舎に引き上げます。
「ストライキというもんだそうだ。おらたちの給料も男工もあんまり安いから、二銭か三銭上げてけろ、そんだねいと稼げねい(働けない)というごったから、よかんべいと思ったのさ、男工さんから仕事せいと言ってきたら工場へ行くべえ、それまで寄宿舎で休んでいればいい」と年上の女工はみなの問いに喜んで答えました。
その日は完全に部屋に閉じこもり、布団を引っ張りでして寝てしまいます。
「給料は一銭でも上げてもらった方がいいけれども、こんなことをしていいのだろうか」と、布団のなかでみなは悩みました。
たった一日のストライキ、でも・・
二日目の朝、守衛と舎監と暴力団がいっしょになって、女工が寝ている布団をはぎ、工場へ追い出しました。女工と争議指導部との連絡が途切れてしまったのです。二日目の夜に工場の塀の外から連絡文が投げ込まれます。「工場に出るな、ガンバレ」というだけでした。でも結局ストは一日で終わりました。
女 工 小 唄
籠の鳥より監獄よりも
    寄宿ずまひはなほ辛い
工場は地獄よ主任が鬼で
    廻る運転火の車
糸は切れ役わしやつなぎ役
    そばの部長さんは睨み役
  
「女工哀史」細井和喜蔵(改造社版)より
「会社が交渉に応じないので、友愛会に頼んで交渉中だ。やっぱり友愛会でなければだめだ。みんなで会員になろう。会費は一カ月で十銭だから」と稲葉という機械修理工がオルグにやってきました。
「ストをやった人(指導部)は全員解雇された。会社は連中を復職させればまたストをやるから復職させない。給料はおりをみていくらか上げる。友愛会のおかげでたくさん退職金をもらった。警察が出てきてみんなを連れていったのだから、なんとも手のつけようがなかった」との話。
「ストは会社にとっては一番いやなことなんだ。警察がでてくるなんておかしい」とみなは稲葉に言います。
「警察は会社の犬だ。給料を少し上げてくれと言ったって、さっぱりらちがあかないからストをやったんだ。なんにも悪いことしたんじゃねえ」と稲葉は憤慨してこたえました。
「友愛会でなければ会社は相手にして話を聞いてくれない。友愛会は私たちの味方なんだ」とみなは友愛会加入を決意します。
会員拡大のオルグへ
友愛会の会員を増やし会費を集める活動をみなは始め、熱心にすすめます。工場の機械のかげに稲葉と油つぎの男工が交替で争議指導文と交渉の経過を報告。知りたい意欲がある若い女工が集まりました。
集まる女工は四分の一程度で、年齢の高い女工は居眠り。通勤女工は技術は持っているが子持ちか家庭持ちで、通勤一ヶ月後には顔は青ざめ、髪は起きたままの姿、疲れて仕事中に機械にもたれて居眠り。
「目を覚ませ」と監督が怒鳴ります。
「若い女工はお嫁に行くと『夜業』があるから寝不足なんだ、今に死んでしまう」「夜のアレをすくなくすればいい」と言う人。
「結婚すれば私もそうなる。女工をしている限り私は絶対に結婚しない」と十三才のみなも決意を固めていました。
一日十二時間という紡績工場の長時間重労働を自覚しないで、結婚しても働くのが悪いと若い女工たちは考えていたのです。
(「山内みな自伝―十二歳の紡績女工からの生涯」新宿書房より)