下町労働史 100 最終回

下町ユニオンニュース 2020年5月号より
              小畑精武
下町労働史(戦前編)を終えるにあたって
過去を知り、未来への歴史を拓く

 二〇一一年東日本大震災直前、下町ユニオン三月号「江戸時代に下町でストライキ!?労働運動の歴史を訪ねる」から始まりました。第一〇〇回最終回は新型コロナウイルスが世界的に蔓延し「外出自粛」「緊急事態宣言」が出されるなかで書きました。奇しくも「歴史」のめぐりあわせを感じさせます。
  歴史を知ること・学ぶこと
 なぜ私は下町労働者の労働や労働運動に興味を持ち、調べて書こうとしたのでしょうか?「われわれはどこから来て、どこに着いて、どこに行くのか」(ゴーギャン)を探求したかったからです。このことは下町の労働運動の「歴史を知る」ことであり、「歴史を学ぶ」ことであり、「歴史をつくる」ことです。
 「歴史を知る」ということはすでに過去となった様々な歴史的できごとを掘り起こし、史料を集め、調べ、その時代の課題をみつけることです。「歴史を知れば未来が見えてくる」のです
第1回メーデー宣伝ビラ
メーデー本来の要求「8時間労働制」が三大決議に入っていないのは不思議です。
 テレビでおなじみの池上彰さんは、佐藤勝さんとの対談「大世界史」(文春新書)で「ドイツは、第二次世界大戦中、ナチスによるユダヤ人大虐殺を経験しました。ナチスによる民族抹殺計画はユダヤ人のみならず、さまざまな少数民族も対象にしました。その反省から、戦後のドイツは、さまざまな民族を受け入れるようになっています。過去の反省から、いまがある。歴史に学ぶとは、こういうことを言うのでしょう」と「歴史に学ぶ」について語っています。戦後日本国憲法も「平和・人権・民主主義」を理念とし、日本人のみならずアジア民衆を殺害し、東京大空襲や広島、長崎の原爆被害をもたらした歴史に学び過去への反省からつくられたことは言をまちません。
 日本史上初の労働者権利獲得
戦前のストライキ闘争の特徴は、会社との団体交渉が十分煮詰まらないうちに“スト突入”していることです。「女工哀史」に描かれた厳しい労働環境下、団交権、スト権もなく、やむを得ず職場放棄・直接行動に入ったのです。(サンジカリズムの影響もあったと思います)
富士紡績(墨田区押上)の女工たちは団結権を一〇〇年前の一九二〇年に勝ちとり(本誌九五号)東洋モスリン(江東区亀戸)の女工たちは二七年に「外出の自由」を勝ちとり(四八号)東京製綱(江東区深川)は二四年にはじめての「労働協約」を実現しています(三六号)。下町の労働運動が日本ではじめて労働者の権利を勝ちとった事例は少なくないのです。階段を上るように一つ一つ「一歩後退・二歩前進」しながら労働者の権利を積み上げていきました。
 「八時間労働制」は未達成
 五月はメーデーの月です。メーデーは冬が終わり温かくなる五月(May)を喜ぶ祭りとして北欧で始まったそうです。現在のメーデーの起源は一八八六年五月一日ご存知のように「八時間労働制」を掲げてゼネストに入ったアメリカシカゴ労働者の闘いです。
第一回メーデー1920/5/2
第1回メーデー(1920年5月2日)
 日本の第一回メーデーは一九二〇年五月二日に上野公園内で開かれ、約五千人の労働者が集まりました。メーデー参加を呼びかける「労働日(メーデー)大演説会」とあるビラには、主催の友愛会、全国坑夫組合、日本機械技工組合はじめ一五組合名と三大決議(①悪法治安警察法第一七条の撤廃、②恐慌失業の防止、➂人間としての生活を保証する最低賃金法の設定)が載っています。このほかにも「八時間労働制の実施」「シベリア派遣軍の撤退」「公費教育の実現」が緊急動議として採択されました。
 ビラからは主催組合が一五組合もあり、当時の労働運動がまだ統一されていなかったことがわかります。決議では「治安警察法第一七条撤廃」がトップにあげられています。一九二〇年前後は第一次世界大戦後の不況で解雇、賃下げなどに対する労働者の闘いが盛り上がり、八幡製鉄の溶鉱炉の火を止めるなどストライキも頻繁に闘われ、労働者の権利確立がトップ要求になったのです。
 今年は第一回メーデーから一〇〇年。今日、治安警察法一七条(一九二六年に暴力行為処罰法へ変更)は戦後まもなく廃止され、新憲法で労働基本権の保障、労働組合法の制定と大きく労働運動は前進しました。ところが最近、憲法の労働基本権を踏みにじる攻撃が全日本連帯労組関西生コン支部に掛けられています。一〇〇年前に時計の針を戻すものです。「八時間労働制」も日本はILO第一号条約(八時間労働制)を批准していません。完全には実現していないのです。
  歴史とは過去と現在との対話
こうした歴史的経過を知ることによって第一回メーデーが決議した課題がどこまで達成され、現在の課題は何かを知り、どこに向かっていくのかを考え、実現のために何をしなければならないかを過去との対話の中から探し出していくのではないでしょうか。
このことが未来への歴史を切り拓いていくのです。そのために、常に過去をふり返り「過去と現在との間のたえまない対話」(E・H・カー「歴史とは何か」岩波新書)を続けていくことです。最後に戦前において、戦時下の抵抗を含めおそらくもっとも権力と闘い抵抗した下町労働者に流れる不撓不屈の血をDNAとして若い労働者が受け継ぐこと、その時代の最先端で闘った歴史の継承を期待し終わります。
◆◆江戸川労働運動史に新事実(あとがき)
 関東大震災直後南葛労働会の川合義虎ら八人と純労働者組合の平沢計七ら二人が軍と警察によって虐殺された一九二三年の亀戸事件(一七号~二二号)から間もなく一〇〇年がたちます。このことを調べている中で江戸川区小松川地区に南葛労働会の職場と闘いがあり、事務所まであったことを知りました。なぜか? 小松川地区は亀戸地区とつながって交流があったのです。以前書いた「江戸川区労協三〇年史—ロマンに生きる」(一九八三年)を書き換えねばならない歴史的事実が出てきました。歴史を知りワクワクすることは楽しいことです。
長い間「過去との対話」にお付き合いをいただき、誠にありがとうございました。いつか戦後編に挑戦したいと願っています。 (終)
(「下町労働史」はユニオンHPで見られます)