下町労働運動史 75   

下町ユニオンニュース2017年12月号より
戦前の下町労働運動史 その37        小畑 精武
打ち続く東京交通労組の闘争
 人員整理とのたたかい 三二年
 一九二九年から毎年東交争議は続き、三一年四月にも合理化が強行され五日間の全線罷業に入りました。九月には日本軍による満州侵略が始まり、以後戦線は中国へと拡大していきます。
 交通関係労組は全国に広がり、合法左翼の交通総連は三二年に一万五千名、そのうち東交は一万人を占めるに至ります。三月には東京地下鉄の地下車庫で車両3台の占拠ストが闘われ、全国の主要都市では人件費削減反対の交通ストが闘われ多数の組合幹部が検挙されました。
 東交では分散職場ストが闘われます。錦糸掘では少年車掌への出勤停止に対する独自ストや職場大会からの同情ストなど各地に職場ストが拡がりました。三二年七月にも人員整理、減給が発表され争議になります。
 三二年九月には「健全なる労働組合主義」「反共産主義、反無政府主義、反ファシズム」をかかげる日本労働会議が十一労働団体により結成されます。海員組合九万五千人、総同盟三万三千人など、全組織労働者の五八%を超える統一組織となりました。「大右翼」結成運動はここに完成したのです。交通総連は「『下からの統一』のみが真に資本と闘い得る。右翼組合の幹部間の野合的統一とは相いれない」として拒絶しました。
東交争議
           東交争議
 団体協約にも取り組む 
 三二年には団体協約を結ぶ流れに東交も乗っていきます。この年十三組合三二協約が二年後には二〇組合六二協約に増加。東交は三三年十一月大会に団体協約締結要綱案を提案します。これに対して「ストライキ闘争を放棄するものだ」との反対が出されたものの、そのまま可決されました。
 全員解雇・初任給で再雇用にスト
一九三四年九月、東京電気局は赤字整理案として全従業員をいったん解雇し、初任給で再雇用する、さらに技師、事務職は二八〇〇人中三八〇人の解雇を提案してきました。減収分は四八%、賃金半減!メチャクチャです。現実主義的方針を前年十一月に決めた組合も見逃すわけにはいきません。
たしかに大震災後に省線(国電)の延長、地下鉄の出現、郊外電車の市内乗り入れ、さらに一円でほとんど市内どこでも行ける円タクの登場と、独占的だった市内電車は後退を余儀なくされ収入減となります。
東交は指導部を三段構えにします。内務省、陸軍省、警視庁から在郷軍人会、町会、市会議員などに、スト破りをしないように要請書を送り、市民向けのビラを配布し、支援を訴えました。労組による争議応援団会議も結成し、資金集めをすすめます。
支部へのスト指令伝達者が途中で検束されたため、スト突入が遅れ九月五日から全線ストに入りました。当局は臨時運転手を確保しようとしましたが、事故が頻発します。