水俣で、チッソと闘い、水俣病の被害者を支援した 労働組合の歴史を伺いました‼

(下町ユニオンニュース 2024年1月号より)

全国交流集会の翌日、水俣市内にある熊本学園大学・水俣学現地研究センターへ。新日本窒素労働組合の元委員長である山下善寛さん(83歳)のお話を伺いました。

新日本窒素労働組合は、水俣工場の労働者約五千人のうち三千人以上が加入していた労働組合です(二○○五年に解散)。山下さんは、中学卒業後に水俣工場に就職。退職するまでの四十年余り、組合員として、工員への差別待遇撤廃の闘いや合理化反対の闘いを経験してきました。

一九六八年、新日本窒素労組は、「水俣病の問題に取り組んでこなかったことは、人間として、労働者として恥ずかしいことである」という『恥宣言』を全会一致で決議し、労働組合として水俣病患者支援に乗り出します。一九七二年の水俣病公害裁判では、患者側の証人として組合員が法廷に立ち、安全性無視の工場の実態を告発しました。

山下さん自身も、自分は水俣病の加害者だと感じ、患者・家族の支援に深く関わり、患者たちによるチッソ本社との交渉行動にも参加したと言います。

多くの農民や漁民と連携して、地域ぐるみの労働運動に取り組んだという話は、私たちコミュニティ・ユニオンの大先輩だと感じました。

山下さんは今も、地元で水俣病患者の支援を続け、また地域の環境保護運動や脱原発運動に取り組んでいるとのことです。