下町労働運動史9 大正時代1 

下町ユニオンニュース 2011年12月号より
大正時代の下町労働史 その1 
小畑 精武
 
闘う東部労働運動の成立
 時代は明治から大正に入ります。実は来年二〇一二年が明治四五年=大正元年からちょうど一〇〇年になります。お隣の中国では一九一一年に辛亥革命が起こり、翌一九一二年には二〇〇年続いた清王朝が倒れ中華民国が成立します。(今上映中の映画「一九一一年」の原題は「辛亥革命―一九一一年」で孫文たち革命軍の闘いを描いています)日本では明治天皇の暗殺未遂事件といわれる大逆事件(デッチあげ)が一九一〇~一一年に起き、社会主義者の幸徳秋水、管野スガなど一二名が死刑となりました。翌一九一二年七月三〇日に明治は終わり大正が始まりますが、わずか一五年で昭和になります。しかしこの時代は民衆・労働者の歴史にとって重要な転換点となりました。普通選挙を求めた大正デモクラシーが盛り上がり、溶鉱炉を止めた八幡製鉄(新日本製鉄)のストライはじめ労働運動も今日につながる本格的な労働組合運動が始まったのです。
友愛会の結成
大正が始まった八月一日、後に日本労働総同盟になる友愛会が結成されます。結成の場所は残念ながら下町・東部ではなく、芝公園に近い惟一館(キリスト教会、今は総同盟会館)の図書室。集まったのは電気工、機械工、畳職、塗物職、牛乳配達夫、散水夫など一五人、中心は鈴木文治(統一基督教弘道会幹事)でした。名前を決めるのに色々あったそうですが、まだまだ弾圧が強いので出発点としてイギリスの「フレンドリー・ソサエティ」にならって、「友愛会」に決まりました。目標は「親睦・相愛扶助」「識見開発・徳性涵養・技術進歩」「地位向上」で団体からのスタートでした。芝は東部に対して南部地区にあり東芝の前身である東京電気と芝浦製作所、日本電気、池貝鉄工所など大工場が多く、以後品川、大田、川崎へと南部は広がっていきます。
下町・東部の争議
明治時代に隅田川沿いで始まった労働運動は大正時代には下町各地へ広がります。隅田川河口の石川島造船所から墨堤をさかのぼって行くと鐘淵紡績へ、小名木川や竪川を東に向かうと亀戸、一九〇九年に賃上げ要求の争議が起こった東洋モスリンがあり、横十間川を北へ行くと一九一四年に争議が起こる吾嬬町東京モスリンへと友愛会の運動は広がっていきました。
大正時代の下町・東部の労働運動は社会主義、共産主義をめざす運動ともつながり、戦闘的労働運動の拠点が形成されていきます。一九二二年に結成され戦闘的労働運動の代名詞「南葛魂」で名をとどろかせた南葛労働会が渡辺政之輔らによって結成されます。
そして一九二三年九月一日、運命の関東大震災が勃発しました。下町一帯は焼け野原となり、その混乱の中で、平沢計七はじめ若き労働運動や社会主義運動の活動家が亀戸署で軍隊によって殺されたのです。同時にデマにより朝鮮人、中国人も多数殺されてしまいました。
大正時代の最初にあたり、年表で簡単に振り返ってみましょう。
(参考)「日本労働組合物語 大正 大河内一男、松尾洋」筑摩書房
大正時代の主な下町・東部労働運動
     (1912年~1926年)
1912年8月1日  友愛会創立
1914年6月20~21日 
 東京モスリン(吾嬬町)争議
1917年7月28日~8月2日
 富士ガス紡績押上工場争議
1920年5月2日
 日本最初のメーデー(上野公園)
1920年3月1日
 東京ではじめて女性車掌をのせたバスが上野-新橋間をはしる
1920年7月14日~26日
 富士ガス押上工場争議
1920年10月2日
 平沢計七ら純労働者組合結成
1921年1月12日
 足立鉄工所(吾嬬町)争議で機械破壊
1922年10月25日 
 渡辺政之輔ら南葛労働会結成
1923年9月5日(9月1日関東大震災)
 亀戸事件(平沢計七らが殺害される)
1926年2月16日
 東京製綱と総同盟製鋼労組がはじめて団体労働協約を締結