「墓を掘る」
下町ユニオンニュース 2021年8月/9月合併号 リレーエッセイ 私の小箱 より
いとこが墓を維持できないため、墓じまいをすることになった。そこで本年二月、骨を発掘することにした。ねらいは一九三三(昭和八)年に五九歳で亡くなった母方の祖父。
荒川開削の大工事のさいは地域のリーダーの一人として活躍し、江戸川区の青果組合副理事長もつとめていたと聞いている。
なにより興味深いのは、祖父はこの寺(江戸川区松島三丁目・東福院) の最後の土葬例らしいということだ。大桶に屈曲位で無理やり押しこめられ、蓋で頑丈に押さえつけられ、最後に荒縄でぐるぐる巻きにされて、そして地中深くに埋められている、にちがいない。
まず、江戸川区役所に「墓地改葬許可申請書(兼許可証)」を申請してその場で許可を得た。骨壷に入っている火葬骨だけなら手軽に合葬墓に移せるので、この手続きを無視する人が多い。しかし、これは法律違反だ。とりわけ今回の発掘は、なまなましいかたちで骨を取り上げることになる。もしかしたら髪の毛や肉も残っているかもしれない。骨を掘り出したらきれいに水洗いし、箱に入れて瑞江の火葬場まで運び、そこで火葬してもらうことになっている。申請許可証を得ていないと火葬してもらえないのだ。
一月後半から墓石の解体工事がスタート。この墓は祖父の代からの新墓で、四周がそれぞれ一間半(二・七m)もあるそこそこ立派なもの。まずはGL(グラウンドレベル・地表面)までの構造物(基礎石や外枠石、墓石など)を撤去。つぎに発掘域(トレンチ)の設定。二・七m四周枠をぎりぎりに掘ることはできない。そんなことをしたら、二尺(六〇㎝)も掘り下げないうちに隣接するよそ様のお墓や石畳の通路が崩れてきてしまうからだ。トレンチは、三辺が枠から尺五寸(四五㎝)内側に、一辺が二尺内側に設定した。でも、ほんとうは四周二・七mぎりぎりに土留めの鋼矢板を打ちめぐらし、墓域全体を広く深く掘りたかった。
私は、土葬されているのは祖父一人で、その祖父の全身骨を取り上げたいと、そればかり考えていたのだが、これはたいへんな誤りであった。うちの仏壇のお位牌を何度も確認していたにもかかわらず、夭折した幾人もの子どもたち(私のおじ・おばにあたる) のことに考えが及ばなかった。考えてみれば、祖父が埋葬される以前に夭折した子どもたちが先に葬られていたのだ。
毎日二、三時間、二週間ほどかけて、トレンチ内の粘土質の重い土を掘り下げていった。GLから九〇㎝ほど下がったところで、トレンチの北西隅に、トレンチの壁にもぐりこむようにして、押しつぶされたかたちの小児棺(棺桶ではなく棺箱)が検出された。骨はなく、十二、三㎝サイズのオレンジ色の総ゴム靴と朱漆塗りのぽっくりが副葬されていた。これは、私が生まれる一カ月前に八一歳で亡くなった祖母が、ぜったいに間違いなく、わが子(娘) の弔いに添えたものである。
トレンチ南西隅にもう一つ棺箱が検出された。側板を壊し、思いきり深く手を差し込んで頭蓋骨ほかを探してみたが何もなかった。
さて、肝心の祖父はどうなったか。見つからなかった、というのが結論だ。幾重の荒縄の結束痕が確認され、供え物の漆皿も出てきて、間違いなくここに埋葬されているという感触があるのに。彼らは崩落防止の土留めとして残した土塊のなかに、ぐるりと四周をめぐるようにして眠っている。(江戸川・U)