下町労働運動史67 (番外編)
下町ユニオンニュース 2017年3月号より
番外編「元祖8時間労働制」の国オーストラリア
小畑精武
世界一のトラムネットワーク
二人目の孫が生まれ、三年ぶりにオーストラリア・メルボルンに約一カ月行ってきました。江戸川区労協のメンバーとしてオーストラリアを最初に訪れた一九八六年、娘の結婚式に参列した二〇〇五年と何度か来ました。メルボルンは「公園の中に街がある」といわれる落ち着いた街です。何よりも私が好きなトラム(路面電車)が今でも縦横無尽に市内を走っています。その延長㌔は二五〇㎞に達し世界最大を誇っています。
民間委託されていますが、都心部(シティ)は無料。シティを一周する観光用トラムもあり、あたかも横に動くエスカレーターです。
日本の東京交通労働組合も強い組合として戦前からがんばってきましたが、メルボルンのトラム労組も強い組合です。車掌が廃止されるときには銀座のようなメインストリートにトラムを並べるストライキを闘いました。残念ながら一人乗務になりましたが、運転手は今でも車掌業務はせず運転に専念しています。多文化・多民族社会、男女共生社会にふさわしく、運転手も多民族で女性も目立ちます。八六年に訪問した時、職場に「英語教室」の案内が貼られていたのを思い出しました。
トラムのシティラインの外側には「旧刑務所」が観光用に保存され、その隣には「888タワー」(写真)が青空にそびえ建ち、交差点のはす向かいには歴史を感じさせる砂岩の立派な「トレード・ホール」があります。八六年の地図には「貿易会館」と訳されていました。これは間違い!トレードは貿易と訳すこともできますが、この場合は「トレード・ユニオン」の「労働会館」が正解ですね。
労働運動指導者が流されてきた
「刑務所」「888タワー」「労働会館」をつなぐ輪が「労働運動」です。
日本では封建制の江戸時代、一七八八年のイギリスでは、それまで死刑だった一九の罪が流刑に変えられ、流刑囚は植民労働者になっていきます。今回「19 crimes(19の罪)」という安いワインを飲み、そのラベルから知りました。一八三三年にはイギリスの農業労働者が賃上げを要求し弾圧を受け、流刑地であったオーストラリアに流されます。
本国イギリスでは一九世紀初頭に「団結禁止法」が制定され、普通選挙法制定をめざすチャーチスト運動が高揚していました。団結禁止法は、賃上げや労働時間短縮、ストの計画、不法な集会の計画や参加(何か共謀罪に似ている?)した労働者に最低三カ月の禁固刑、二カ月の重労働を課しました。
一九世紀の半ばになるとゴールドラッシュにオーストラリアは湧き、人口が増え、建物も増加し、建設労働者が増大し、人手不足になっていきます。ラッシュ以前にすでに一〇〇を超える労働組合が結成されてます。
「888タワー」の意味は?
一八五六年四月メルボルン大学建設現場で働いていた石工労働者は道具を投げ出し、8時間労働制を要求して植民地議会まで市内を練り歩きました。ストライキに入ったのです。そして賃金カットなしで時間短縮・8時間労働制を五月に勝ち取ります。
タワーの最上部には「8・8・8」「LABOUR、RECREATION、REST」が刻まれています。「LABOUR(労働)に8時間、RECREATION(元気回復)に8時間、REST(休息・睡眠)に8時間」は初期社会主義者であるロバート・オーエンが唱えていた8時間主義の実践です。
こうした運動の高揚を背景にメルボルンの労働組合は、一八七四年現在地にトレード・ホールを建設しました。さらに刑務所と労働会館の間に「888タワー」を記念碑として建設したのです。
【参考】「オーストラリア労働党の歴史」(B・マッキンレイ、加茂恵美子訳、勁草書房、一九八六)