墨東フィールドワーク ~100年前に思いをはせて  辻智子

下町ユニオンニュース 2024年1月号より

 札幌で研究活動をしている辻智子さんが、江東・墨田の歴史をたどるフィールドワークを行いました。 報告記事を掲載します。(編集部)

 2023年11月4日、江東区亀戸・大島を歩いた。午後一時、JR亀戸駅を出発。川見一仁さん、川見公子さん、前田かおるさんに案内役をお願いして、このエリアを巡った。東京モスリン亀戸工場跡地(立花一丁目団地一角)や王希天虐殺現場(逆井橋)にも足を運ぶ予定だったが時間がとうてい足りなかった。跡地を回るといっても必ずしも目印があるわけではない。亀戸二丁目団地自治会長の前田さん、関東大震災中国人受難者を追悼する会の川見さんご夫妻の同行がなかったらウロウロして時間ばかりが過ぎてしまっていたことだろう。あらためて感謝申し上げたい。

 そもそもなぜこのフィールドワークを計画したかというと女性労働者と表現をテーマに戦間期(1920~1930年代)における、女性労働者についての、または、女性労働者による表現(文学作品、活動機関誌、学問研究、生活記録)にかかわって私を含む六人で共同研究を始めたからである。周知の通り、墨東のこの地には、かつて工場が林立し、多くの労働者が暮し、大きな労働争議が闘われた。労働者に組織化を働きかける活動家たちが集まり、帯刀貞代はモスリン横丁で労働女塾を開き京モスや洋モスの女性労働者の工場外のたまり場を提供した。女性プロレタリア作家の佐多稲子や中本たか子は、洋モス争議や女性労働者をテーマに作品を発表した。秋田の銅山で生まれ育ち母と自身の自伝を小説に著した松田解子は、賛育会で出産し、無産者託児所(亀戸駅南側)に子どもを預けていた。震災救援を契機に社会事業が活発化し、職業婦人社を立ち上げた奥むめおの婦人セツルメント(立川二丁目)、徳永恕(ゆき)が創設した二葉保育園の深川母の家(海辺町二)、平田のぶ(元池袋児童の村訓導)による子供の村保育園(白河三丁目)などが開設された。近隣には帝大セツルメント(柳島)などもあり、当時、社会事業の一大拠点となっていた。

 こう列記しただけでも、この地にあふれていた人々のエネルギーが伝わってくる。ここに集った人々が、顔を合わせ、ゆきかい、交差しながら、そのエネルギーを相乗的に高めていった様子も想像できる。あらためて「この地」というエリアの視点から当時の暮しと人々の息づかいをたぐりよせてみたい思いにかられる。そしてそれを、現在を生きる多くの皆さんとも分かちあえればと思っている。

<亀戸・大島で訪ねた場所>
(1) 関東大震災亀戸事件関連跡地:
 ①亀戸憲兵司令部跡(現在は駅前ロータリー)
 ②亀戸警察署跡地(サンエービル)
 ③赤門浄心寺・亀戸事件犠牲者之碑(亀戸4丁目)
 ④南葛労働会本部・川合義虎宅跡(亀戸3丁目交差点)
(2) 日清紡績工場跡地(亀戸二丁目団地一角)
(3) 亀戸花街(亀戸天神北側)
(4) 東京モスリン吾嬬工場跡地(文花一丁目団地一角)
(5)「モスリン横丁」跡地(亀七通り商店街(推定))
(6) 東洋モスリン工場跡地(亀戸七丁目団地一角)
(7) 関東大震災中国人虐殺事件関連跡地:
 ①野戦重砲兵第三旅団司令部跡(MARUWAセンタービル)
 ②麻一族虐殺現場跡地(中の橋商店街)
 ③集団虐殺現場(東大島文化センター)

「日清紡績創業の地」の碑の前で。前列中央が辻さん
(共同研究の成果は単行本として刊行予定です。)
(元・江東ユニオン組合員、1998年~亀戸、2000年~古石場、2013年~札幌在住)