下町労働運動史1 江戸時代に下町で「ストライキ」!?
下町ユニオンニュース 2011年3月号より
江戸時代に下町で「ストライキ」!?
「労働運動の歴史を訪ねる」
小 畑 精 武
(江戸川ユニオン)
「日本の労働運動は明治時代に始まりました。」
「でも、ほんとうにそうだろうか?」
たしかに今日の労働組合につながる労働運動は明治時代から始まっています。でも私は江戸時代にも、近代的な労働組合という組織形態でなくても、働く人の団結や行動があったのではないかと考えています。以前にも「下町ユニオン」に東北地方に広がった江戸時代の友子制度(鉱山職人の助け合い組織)を取り上げましたが、下町にもないかと考えてきました。
ありました!「おそらくこれが日本最初のスト」という文言をだいぶまえになりますが、「葛飾区史跡散歩」(入本英太郎、学生社、1977年)に見つけたのです。
それによると、坂本龍馬が活躍していた江戸時代の末期1860年代に、現在の葛飾区の小菅拘置所の場所に銭座があり、最盛期には232人の職人が働いていました。当時幕府はそれまでの銅銭を質の悪い鉄銭に変え、小菅の銭座はその鉄銭を造っていました。1862年(明治維新の5年前)に突然鉄銭(文久通宝)づくりを小菅と深川大工町の銅座、浅草真先の金座に命じました。いずれも今日の下町地域にありますね。
この3か所の銭座職人500人が結束して、翌年1863年(文久3年)に賃上げ要求のストライキを起こしたのです。これが「日本最初のストライキ」だと入本さんは言っているのです。しかも、このストは1ヶ月余にわたって続き操業がストップしたと「小菅銭座日記」に書かれているそうです。残念ながら結果がどうなったかは分かりません。でも明治維新という大きな体制変革の背景にはこうした民衆の生活の苦しさや運動が、“ええじゃない、ええじゃない”などの広がりとともに、あったことは間違いないと思います。
明治以降も下町(東部)は労働者の街として、東京市電スト、南葛労働会、東京モスリンの闘いから、戦後の東部労働運動、ユニオン運動に至るまで労働者の運動は続いてます。
定年を迎えた私は、高橋治巳大先輩がいわれる「運動には定年はない」という言葉をかみしめ、ユニオン運動に参加するとともに、こうした下町、東部地域の先輩、先達、親や祖父母たちが遺した運動史を訪ね(調べ)、下町の運動のDNAを探し、後輩のみなさんに少しでも語り継いでいくことができればと思っています。一緒に「下町労働運動史の旅」をしませんか?