哲学者 内山節講演会

三月十五日、江東区労働組合連絡会と東京都労働相談情報センター亀戸事務所の共催で、哲学者の内山 節(たかし)さんの公開労働講座「パンデミックの中で私たちの働き方、暮らし、社会を見つめ直し、未来を考える」を開催しました。内山さんは、群馬県上野村に移住し、働くことと哲学について発信してこられた方です。多岐にわたったお話の一部をお伝えします。

◆コロナがあぶりだす社会観
ウイルスは宿主なしには生きられない。感染症の歴史から考えて、今後は弱毒化して感染力が強まる方向へ向かうだろう。「コロナとのたたかい」という言葉が示すものは、欧米的な人間中心主義であり、不都合な自然を押さえ込もうという価値観ではないか。コロナの側は宿主である人間との「共存」を望んでいる。人間はどう共存するのか。
ヨーロッパは、生きている人間が社会契約で作るのが社会、という考え方が基盤にある。一方、日本は、生者だけでなく死者も自然も神仏までも含む社会であり、「契約」という考え方はなじみが薄い。日本の場合、不都合な自然を押さえ込むのではなく、どうつきあっていくのか、という考え方でやってきた。豪雨がふれば大変だが、降らなければ植物は生長しない。山の噴火は恐ろしいが、各地に温泉も湧き出てくる。恵みとわざわいは分けづらく、紙一重のものだ。
上野村では、死者が日常の暮らしに生きているのを感じる。かつて村では電気をひくのも自分たちでやらなければならなかった。そのため、一軒あたり、今の価値にして五百万円ほどの相当なお金を出し合ってきた。先祖が耕し続けてきた田畑もある。そうした地域のインフラや田畑に、死者たちの存在感を感じる。死は、自然が残してくれる私たちへの最後の感謝すべき贈り物。現代に生きる私たちはこのことを忘れてはいけないと思う。

◆労働組合に求められるもの
日本は以前は自営業が多数だったが、いま高齢化したサラリーマンが大量に発生するという、かつてない現実が起きている。不平は言うが上の決めたことには従い、反乱には至らない。そんなサラリーマン社会から脱出しようという動きが若い人たちから出始めてきている。
とはいえ不正に満ちた資本主義との対決が、やはり労働組合には求められているだろう。同時に、社会や地域とともにどう生きるのか、という視点をもって若い人に語りかけることが必要なのではないか。
〈感想〉
本当は、お話はさらに時空を大きく飛び越えて広がったのですが、伝えきれずゴメンなさい。どんな不況がやってきても、身の丈に合う規模の助け合いのネットワークがあれば大丈夫です、という言葉が身に沁みました。(M)

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