関東大震災中国人虐殺を考える集い

室内の画像のようです
関東大震災中国人虐殺を考える集いの展示の一部です。
奥の右には鳶口などの道具で多くの中国人が殺される様子の版画や絵が掲げられ、
手前に見える箱には殺された犠牲者の名前札がぎっしりと並べられていました。
この会場となった東大島文化センターの建物敷地自体が、遺体が山のように積まれていた現場なのです。

9月5日午後、関東大震災中国人受難者追悼式に参加しました。
中国の温州から遺族の方も、ZOOMで参加されていました。
1923年の関東大震災の際、江東区大島に住んでいた大勢の中国人が、日本人に虐殺されたのです!

第一部の追悼式では、殺された方一人一人のお名前を、遺族が読み上げる映像が流されました。
第二部は「震災当時の中国人労働者排斥の動き」を林伯耀さんが講演されました。江東区大島同様、虐殺が起きた神奈川県の子安町など他の町も、労働者の町だったそうです。日本人労働者が仕事を中国人に取られたと逆恨みし、虐殺につながったとの話もありました。
第三部では、中国人リーダー王希天さんが殺された逆井橋たもとに移動後、遺族の挨拶文が読まれ、中国語の歌が歌唱されました。

当時の山本権兵衛内閣は、虐殺事件を隠蔽すると閣議決定しました。安倍・菅政権にも、この隠蔽体質が連面と受け継がれています。
私達は、ヘイトを許さず虐殺事件を語り継いでいかなくてはならないと、心から感じました。   (I)

橋の画像のようです
↑中国人リーダー王希天さんが殺された逆井橋(さかさいばし)のたもとです。橋の本体中央に「逆井橋」と表記がされています。