下町労働史 番外編

下町ユニオンニュース 2019年3月号より
小畑精武
最賃一九〇〇円のオーストラリア
 二年ぶりに孫に会うため、オーストラリアに行ってきました。メルボルンはまだ夏の終わりですが、錦織や大坂なおみが全豪オープンテニスで悲鳴を上げた暑さは峠を超し、学校では夏休みが始まっています。一日の中に四季があるともいわれ、午前中は肌寒い雨模様でも、午後からはからりと晴れて八時過ぎまで明るく、暑いときは三〇℃を超えTシャツで十分でした。
今回は、取材・調査はほとんどなく、トラムにもほとんど乗らずに、孫の子守や孫とスーパーや酒屋への買い物へと気が向くままに動いてきました。
 「子守り」以外の目的といえば、一九八六年以来三〇年余に渡って交流を続け、江戸川区と姉妹都市関係があるゴスフォード市(現在はセントラルコースト市)地区労の元議長ケビン・ベーカーさんに会うこと(これが最後になるかもしれないという思いで・・」)。
さらに「最低賃金時間給二三.六六ドル(一ドル八一円、約一九〇〇円)」を実感することでした。
 泊めてもらったケビンさんの自宅はシドニー中央駅から快速で一時間余、目の前が砂浜と海、部屋数も多く、裏庭には小さな畑とワークショップ(作業場)、オーストラリア労働者が闘い取った豊かな定年後生活を感じさせてくれます。最賃は日本の倍以上(日本は平均で八七四円)だがサービス業の低賃金労働者にも適用され、生活賃金の水準にあるといえます。
写真の人がケビンさんで、このレストランは市民がつくっている会員制「クラブ」。年会費はたった五ドル(四百円)、協同組合方式で運営されています。人口二十万人ほどでも数軒のクラブがあります。ケビン
 最賃が高いので、物価は決して安くはありません。住宅などの物価も高くなっています。それでも、クラブでは市価よりは安く食べられます。値段でビックリしますが、大きさにもビックリ、日本では優に二倍の大きさですね。写真のハンバーガーは二十ドルでお釣りがきました。ビールは小瓶で、その地域の地ビールが今は流行っているそうです。値段は八ドルほどなので安く感じます。
レストランもクラブ内にいくつかあり、外でローンボウリングを楽しんだり、ゲーム機でのギャンブル、ホールではオージーボウルの中継や高齢の現役ミュージシャンがライブをやっていました。
日本の潜水艦が攻撃!忘れない戦争
 ケビンさんが住んでいるセントラル・コーストは湾が入込み、ユーカリなどが生い茂った国立公園の中に街があります。湾は太平洋につながり、南にはシドニー湾があります。一九四二年、太平洋戦争が始まって間もなく、日本海軍潜水艦はシドニー湾に侵入しました。セントラル・コーストの湾(ホークスベリー湾)にも小型潜水艦が侵入をはかりました。
その時の様子が一冊の本になっています。小型潜水艦三隻が攻めて来て、オーストラリアの小さな「軍艦」が迎え撃ち、一隻は沈没、他は捕まえられたそうです。
 日本人の戦争の記憶には、オーストラリアまで日本の潜水艦が攻撃に行ったことはほとんど入っていません。私もシドニー湾に侵入したことは知っていましたが、ほかにも侵入をはかったことは知りませんでした。
さらに、びっくりしたのは、戦場となったニューギニア付近の島でほとんど全滅した日本兵の遺骨を拾いに、戦後その部隊の上級兵がコツコツとまわったことをオーストラリア人の作家が描いていることでした。結構厚い英語の本です。
オーストラリアはイギリスの植民地であったため、イギリスが戦争をするたびに、直接関係がない、地理的には地球の反対側になるような地域にもオーストラリアの若者はイギリス連邦軍の一員として徴兵され動員されていったのです。古くは、第一次世界大戦時にはバルカン半島へ、第二次大戦ではニューギニアへ、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、動員されていきました。
「渚にて」という古い映画では、北半球が核戦争で全滅し、唯一オーストラリア(ニュージーランドも)だけが残ったラストが印象的でした。