下町労働運動史69      

下町ユニオンニュース 2017年5月号より  小畑 精武
戦前の下町労働史 その三一
東京電燈の組合再組織化(中) 
 一九二六年(大正一五年)五月一日メーデーの日に東電従組は「組合解散」を余儀なくされました。(下町変電所支部は解散に反対しています)委員長の西村祭喜と林征木の復職はなりませんでした。しかし「組合は一旦解散の止むなきに至ったが、当時勇敢に行動した諸君の胸中には、組合再組織の熱意に燃えていた。」(「東電組合運動史」佐良土英彦)のです。
 当時、共産党とその系列の労働組合に対しては治安維持法による弾圧はじめ、すさまじいものがありました。「地下鉄争議」でふれたように要求獲得の争議としてはほぼ成功したものの、一か月後にはリーダーを逮捕し、徹底した組織破壊を権力は行ったのです。
  関東電気労働組合の結成
 解雇撤回が成らなかった西村祭喜は外部から組合再組織化に着手します。九月十三日には共産党の指導の下に関東電気労働組合を結成。「縦断的」な組織では資本攻勢に対抗できないとして、企業内組合ではなく全関東の電気産業労働者が打って一丸となる「『横断的』な産業別組合」を組織します。
 一九二七年二月には会社合併にともなう九六三人の解雇問題について、以後の解雇はしないことを条件に関電労は認めました。
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一九二八年には、東京電燈と合併する東京電力会社の従業員による解散手当要求争議を支援し有利に解決しました。同年六月には東京電燈会社の下請労働者六人が解雇され、その解雇反対闘争に取り組みます。こうした闘争を通して二八年には千人を超える組合に成長していきます。
二月の総選挙では共産党のビラがまかれ、本部には本所、深川、小松川、千住など下町から活動的組合員が集まってきました。しかし、二八年三月十五日、共産党関係者千人を逮捕する3・15事件により西村、林等六人が逮捕されます。(四月に釈放)
  「帝都暗黒化陰謀事件」
合員二人の解雇に反対するストライキにむけて二五の職場分会で準備が進められます。浅草、千住、江東、深川、南葛など下町の五分会も八月からのスト闘争態勢に入りました。前日夜、従業員大会が上野自治会館で開かれます。入口で官憲の服装検査を受け、大会は開始間もなく解散させられ、組合幹部が組合員の前で検挙されていきました。西村たち一八人が「東京の電灯線を切って革命をおこす計画をした」として検挙され、二二人が解雇されました。いわゆる「帝都暗黒化陰謀事件」がでっち上げられたのです。(今日の共謀罪!労働組合が組織的犯罪者集団にされた!)西村は三四年まで六年間獄中に入りました。指導部を失った関東電気労組は分解し崩壊に追い込まれて行きました。
他方、産業別の関東電気労組に対し西村に批判的な佐良土英彦たちは企業内での労働組合再組織化を始めます。まずは二七年三月に施行される健康保険組合議員選挙に彼らの勢力がある変電所から議員を出すことにしました。選挙人名簿を一部抹消する失態を演じた会社に対して異議を申立てます。
  東電被保険者連盟から東電従組へ
さらに労働組合組織化に向けて被保険者連盟を創立します。連盟の規約は労働組合に準じた本部、支部、中央委員会、役員会、組織部、調査部、財政部を置き、組織活動に集中。九月には東電従業員組合創立準備会を名乗って活動を開始。下町第一支部は労組転換を即時すべきと主張しました。
二七年一一月には第二次東電従業員組合が創立されます。新組合は東電従業員の経済的利益獲得、「現実主義」を掲げ、「馘首(かくしゅ)(解雇)絶対反対!賃金値下げ絶対反対!不当転勤絶対反対!」を決議。さらに委員長制を取らずに合議制とし、組合費は三カ月ごとに報告、組合員に自由な発言を認める特長を持っていました。社内は他に関電労、東電工友会があり分裂状況。圧倒的多数を占める未組織の組合員化が迫られていました。(つづく)
      【参考】佐良土英彦「東電組合運動史」一九三四(非売品)