下町労働運動史 59

下町ユニオンニュース 2016年6月号より
小畑精武
戦前の下町労働史 その二二
打ち続く東京交通労組の争議
 世界大恐慌は東京市電の労働者にも大きな負担を強制してきました。一九二九年一二月電気局は市電従業員に賞与二割減、昇給無期停止を提案、市電従業員一万余人は一斉に全線ストに立ち上がり、警視総監の調停により賞与一割削減、昇給一期間の停止で解決。
 しかし、翌年度の東京市の予算案はこの調停を無視し、再び賞与一割減、昇給無期停止を組み込み、賃金切り下げ、歩合低下、職制改革による大量解雇、不当処罰の攻撃を仕掛けてきました。これに対し東京交通労組(東交)は再三再四当局に抗議しましたが、誠意ある態度が示されません。市議会も三月三一日市予算案を可決。東交は四月一日に満場一致以下の要求書提出を決定します。
 一 賞与一割減絶対反対
 二 震災手当の即時支給
 三 臨時工五十名の馘首取消並びに解雇手
当の増額
 四 恩給一時金の選択の自由
この要求に当局は四月六日全要求を拒絶、組合は一〇日中央委員会でさらに以下の要求を決め、一二日追加提出します。
 一 少年車掌の停年制適用廃止
 二 職制改革に伴う賃金値下げ反対
 三 不当処罰反対
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一斉に総罷業を断行せよ!
当局はこれも無視。組合はストライキ体制へ一九日指令を発します。
「◎二〇日始車より一斉に総罷業を断行せ
よ!
イ 一九日中に始車の組を全部引上場所
 等に引上げさせよ。先頭出勤の喰止めを
完全に行う事に全力をあげよ。(略)
△車庫、軌道、工場、電力は各自計画通り
の方法に出でよ、断(行)。
△ブル新聞、逆宣伝を信ずるな、指令を最後まで厳守せよ。」
 この指令から、今回のストライキが東洋モスリン争議のような工場占拠とは異なり、「引上げ場所」への籠城であることがわかります。同じころ出来たばかりの東京地下鉄一九三二年の初ストライキは電車を占拠して上野車庫から電車を出させない型でした。
 四月二〇日早朝より市内交通機関は一斉にストップ。二日目にはスト未参加の支部も参加し、一万二五〇〇人の大争議となりました。当局の青年団、在郷軍人会などによるスキャップ(スト破り)は運転不慣れで交通事故が続出。当時地下鉄は浅草雷門―万世橋のみで、都心部は市電の天国、その市電がストップとなれば大混乱は必至でした。
批判は当局、警視庁へ 
市電大ストライキと交通事故続出による市民の交通不安は極度に達し、市民の批判は市当局や警視庁に向けられます。「争議首脳部は巧みに『官犬』の追及の網の目を逃れ、時々刻々の情勢に応じた指令を発して、争議団の結束と士気の鼓舞に全力を集中した」(篠田八十八「東京市電の大争議」)
 指令第九号には「局長の奴ら面喰って各従業員の自宅へ速達を出して、出勤命令に従わぬと馘首するとオドかしている。この際アンナ奴の命令なんか一人も聞く者が居るものか、笑ってやれ」と争議団は意気揚々です。
争議は市電の電燈電力や東京市従へ、神戸市電が委員長の解雇問題で総罷業に、さらに大阪など全国ゼネストへの広がりを見せます。
市長に委任し、争議惨敗へ
警視庁は争議団の解散命令を発し、弾圧や争議団分裂など懐柔が広まります。三日間のストを闘った東交は組合を守るために、市民への声明書を出し新たに八項目要求を示します。二四、二五日と市長と交渉し、市長は「争議を打ち切れば誠意を持って解決せん」と言明。争議団は六日間の争議を悪戦苦闘の末打ち切りました。「同志諸君!鉾は収められた。だが、我々の生命のある間、労働者の解放されざる間、我々の闘争は継続される。直ちに再起の闘争に移らなければならない。」指令第一六号は次の闘争を呼びかけます。
堀切市長と筧電気局長はストの責任を負って辞職しました。
【参考】林 茂編「恐慌から軍国化へ」(平凡社、一九七五)